• 第15回大会テーマ「しらけちまうぜ」

『しらけちまうぜ』
執筆:田島貴男



 しらけちまうぜ。吐き捨てるように言ってみる。しらけちまうぜ。

 ことし40歳を迎えてから、よく映画を観るようになった。以前は一年に10本そこそこくらいだったが、最近は週に6本くらいだろうか。

 20代前半の頃は、ゴダールやトリフォーや小津安次郎などを小さな映画館にたまに観に行ったりしたものだった。暇だったし、少し難しめの映画を観て分かったふりをするのがかっこいいと思えた。トリフォーの「突然炎のごとく」は途中で寝てしまったが、ゴダールはかっこええとか、コクトーはいかすとか、そのとき好きだった女の子とタルコフスキーを観に行っては美しいだとか、きみの瞳も美しいだとか、映画が終わったあと喫茶店で息巻いて語ったのにあてが外れたりとか、打ちひしがれた気分で、しらけちまうぜ、なんてポーズつけて言ってみたいときもあったりとか。どうだったろう。もう忘れたぜ。

 最近は20代に観た映画が全く違って見える。「突然炎のごとく」を観てショックをうけ、「カイロの紫のバラ」を観て涙し、「秋刀魚の味」を観て泣いている。フランソワーズ・トリフォー、ウッディー・アレン、小津安次郎やその他、この世の中にはなんと凄い才能を持った人間が多くいるのだろうと感心しきっている。このような仕事に一度でもいいから自分も関わってみたいと思う。映画は大人向けにも作られている。世の中に映画があって本当によかったと思う。最近は音楽からよりも、映画から曲のインスピレーションを得ることが多くなった。

 ところでポップミュージックにおいて、アメリカでは大人向けのロックがけっこうあるけれども、日本にはほとんどないように思える。僕ら日本人は、40歳を超えてまで日本語のロックなんかは聴きたくもねえということなのか。しらけちまうぜ。それじゃあつまんな過ぎるってんで僕はここのところ自分の年齢に沿った若者限定ではないロックを作ってやっているつもりなのだが、あまりうまくいかない。いまの僕の力はそんなところだ。

 歳を取って、悲しみの種類を若いときよりも少し知るようになってから、映画がおもしろくなってきた。「さまざまな芸術に接して得た感動は結局、そこに自分自身を見ていただけだったのだ」というようなことを有名な誰かが言っていた。いろんな映画の中に、長く生きた分だけたくさん愚かな自分自身が見えて、孤独から一瞬だけ解放されたような気分になるのだ。

 時代が変われば風も変わり、価値も変わり、権力も変わり、エピステーメーも変わり、人の味覚も変わり、運命も変わる。憲法が変わることもあるだろう。変化の中に生きて歳を取り、痛い思いもしただけ、人の痛みも共感できるようになり、人生の奥行きを知ることになる。

 でもそれがどうしたというのだ。歳をとればまた、自分が生きていることの馬鹿馬鹿しさも知る。絶望的に、しらけちまうぜ、と言いたいときもある。知や金や過去や未来がなんだというのだ。ちっとも確かではない。しらけちまうぜ。ぶち壊しだ。現在がここにあるだけだ。そして、恋愛こそが生きていることをよくも悪くも鮮やかに実感できるなにものかだ。「ハンナとその姉妹」のウッディ・アレンと、そこはぼくもいまのところ同意見である。ウッディ・アレンの映画のように、人生は時に皮肉だ。だからこそおもしろくもある。

 くだらねえ、馬鹿野郎と叫ぶ。しらけちまうんなら、しらけちまえだ。爆発だ。

執筆:田島貴男(たじまたかお)
1987年よりオリジナル・ラヴとして活動中。2006年10月18日、岡本太郎の巨大壁画公開中にも歌われた「明日の神話」をニューシングルとしてリリース。
http://www.originallove.com/


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  • 第15回大会テーマ「しらけちまうぜ」

『untitled(しらけちまうぜ)』
執筆:小田島等



事後ほどしらけるものはない。SEX?マスターベーション?手に入れてしまったら、 後はしらけるしかない、のかな?

先日沢山のレコードを売り払った。所有しておきたい病の私には、重い決断。ダンボー ルをカートに括りつけて引く腕は重い。しかし心は解放に向かって軽い。思い出は心 の中にある、大丈夫大丈夫と心は言う。物に癒された90年代?打って変わって00年代 は心の時代?逆説的にはそうかもしれないなあ…などと考えながら、事後に向かって 歩く。

中古レコード屋の前。約10万円分のレコードが3万円の紙幣になって財布へ。なんだ か、客観的に見たらモダンアートのパフォーマンスみたいだな。穴を掘って埋めると か。

人にとっての最大の事後とは何か?やはり死だろうか。まだ33歳なのに、死の事を考 える。私が過去に描いた数少ない漫画作品にも死をテーマにしたものがいくつかある。 暇だと死の事を考えるものか、あるいは忙しいから考えるのか、わからないけど。

映画のDVDに付くオマケ映像があるが、あれは本編のフォロー、またはデザート。小 説の「あとがき」もそういうものか。例えば人が死んで、葬式の会場にオバケとなっ て現れ、人生の「オマケ映像」を発表できたら…どんなふうだろう。僕なら「あれは 違った」とか「あそこは忘れて」とか言うのかな。しかし、死人に口なしと言う。 「死ぬのはいつも他人だ」と、かのマルセル・デュシャンは仰せである。

先日DJをした。小坂忠の「しらけちまうぜ」をポンとかけると、目の前に二十歳前後 の人が集ってきて「コレなんですか?」「オザケンですか?」と聞いてきた。僕が生 まれて間もない頃の曲だが、さもリアルタイムで聴いたかのように「これは小坂忠だ よ」と。そんなことがあったものだから、こんなふうに風待茶房で文章が書けること は、偶然か必然か、小さな奇跡か。
このイカす7インチ・シングルは売らずにとっておいたんだから。

執筆:小田島等(イラストレーター/デザイナー)
72年、東京都港区生まれ。
最近仕事は祝30周年!!ムーンライダーズ・シングル「ゆうがたフレンド」。
http://hitoshiodajim.jugem.jp/


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  • 第15回大会テーマ「しらけちまうぜ」

『濁っちまうぜ』
執筆:永友聖也(キャプテンストライダム)



高校時代、僕はその名も『哲学研究会』というサークルの部長をつとめていた。
何ともカタい名前のサークルではあるが、僕は従来哲学という言葉の持つ地味なイメージを払拭するべく、部長の権限を活かして通常の哲学研究の枠にとらわれない色々な活動を行った。
具体的にどんな事をしていたかと言うと、地元の都城市に伝わる徳川埋蔵金伝説を独自に調査したり(残念ながら発見ならず)、学校から支給される活動費で丸二日かけて本格インドカレーを作ったり(一応ちゃんと予算申請して承認を貰ったので使い込みではありません)といった斬新な活動ばかりだった。
ちなみに僕が部長になった時部員は僕一人だったため、満場一致で僕が部長に選出されたものだ。

そんな様々な活動の中でも特に印象的だったのが、もう時効だと思うので書いてしまうのだがズバリ『どぶろく作り』だ。
どぶろく。炊いた米と米麹と水を使って作る自家製の濁り酒である。
当然哲学研究の一環であるので顧問の先生も協力を惜しまず、研究は先生の部屋を使って行う事になった。
色々調べた結果どぶろく作りには寒い時期が適しているという事だったので季節は冬、2月上旬の雪のチラつく日を選んで研究はスタートした。
小振りなサイズの青のポリバケツに残りご飯、米麹、水などどぶろくの素になる材料を仕込んで、僕は新たな研究の一歩に胸を膨らませて家路についた。
それからというもの放課後になると先生の部屋を訪れては青いポリバケツの蓋を覗き込んで様子を観察し、静かに中の液体を撹拌してはニヤリと微笑む毎日だった。
観察日記もつけていた。ちなみに当時の記述を見てみると、『2月14日 ヨーグルトの様な匂いがして来た。表面に、ブクブクと泡が浮かんでいる。菌が生きている証拠だろう。』とある。
世間はバレンタインだと言うのに実にストイックな部長ぶりである。

そして更に一週間程が過ぎ、ポリバケツの中の液体が充分に白濁して芳醇な香りを放ちはじめたある日、事件は起こった。
いつものように鼻歌混じりで先生の部屋を訪れ、かわいいかわいいどぶろくちゃんの御機嫌をうかがおうとポリバケツの蓋を外してみると何と!バケツの中味が空っぽになっているでは無いか。
僕は半ばパニックになって顧問の先生に『大変です!バケツが空になっています!』
と報告すると、先生は事も無げに『ああ、アレは俺が処分しといた』と言うでは無いか。
研究という名目を越えてなかば親の様な心境で育てていたどぶろくちゃんである。
当然納得できる訳も無く『始末ってどう言う事ですか!ここまで育てたんですよ!』
と問いつめると先生はすました顔で『だってお前、未成年だろ』と言ったものだ。
全くその通りだ。反論の余地は無い。だがそれ以前の問題の様な気もするし、先生の言う『処分』が一体どう言う方法によって行われたのか今となっては確かめようもないが、哲学の道の奥深さを身を持って知った様な気がした。
一杯飲むつもりがちょいと一杯食わされたという話でした。おあとがよろしいようで。


執筆:永友聖也(キャプテンストライダム)
キャプテンストライダムのVOCAL&GUITAR担当。
10/18(水)発売『恋するフレミング』をひっさげ、10/14(土)〜SHOCK TREATMENT TOURスタート。 3ヶ月連続となるebisu LIQUIDROOM・ワンマンライブの初回が9/23(土・祝)に開催されます。 毎月趣向を変えた、一夜限りのスペシャルなライブです。お楽しみに!
詳しくはオフィシャルサイトまで。
URL: http://www.captain-a-gogo.com/


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『行き交う人並みを眺めているような』
執筆:クリスタル(DJ / トラックメイカー)



 小坂忠の「しらけちまうぜ」。この曲に関する超個人的な音楽面のポイントは、 イントロから登場する、「カッティング・ギターが同じ音程を刻み続ける」アレ ンジに尽きる。さらに言うなら「ある楽器(声)が一定の音程を出し続けるが、 背景のコードは変化していく」というアレンジ手法(これに名前がついているの かどうかは寡聞にして知らないのだけど)に個人的にめちゃめちゃ弱い。これを 使っている曲は大体好きになってしまう。「しらけちまうぜ」におけるギター・ カッティングはフィリー・ソウルによく出てくるアレンジを下敷きにしたものだ と思うけど、他にもプリンス「I Would Die 4 U」(プリンスの曲で最も好きな もののひとつだ)もそうだし、この手法を使った曲は枚挙に暇がない。子供のこ ろTMネットワークが好きだったのも、これが原因のひとつだったのではないかと 今では思う(小室哲哉はこの手法を多用している)。

 何故これがそんなに好きなのかちょっとマジ顔になって考えてみる。それはま るで街にひとり座って、行き交う人並みをずっと見ているような気持ちになるか らだ、と言ってみる。ひとり座っている孤独感と、でも目の前を通る人たちを見 ている間に確かに生まれている関係性。新しい誰かと出会ったら新しい物語が始 まるように、同じ音でもコードが変わったらハーモニーが変わる。だからコード が変わる瞬間は、まるで別れのようでいて、同時に新しい出会いのようでもあ り・・・。と、多分に大袈裟ではあるけど、だからこそ別れを歌った「しらけち まうぜ」の世界にこのアレンジはすごくぴったりきている気がする。

執筆:クリスタル(DJ / トラックメイカー)
http://www.traksboys.com/
毎週末どこかのパーティーでDJ。現在はトラックス・ボーイズとしてアルバム制作中。


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  • 第15回大会テーマ「しらけちまうぜ」

『クローバーを探しに』
執筆:batayam



四葉のクローバーが…雑貨屋さんで売っている。

あぁぁ、…心が遠くなる。


映画やTVドラマで特に深い理由も無いのに恋人たちがくちづけしてしまうのも、すーっと心が遠くなる。

くちづけをするならそこに到るまでの心の風景をきちんと描いて欲しいと想うが、まぁ、好みでないものは観なければいいのだから観ないことにしている。くちづけなんかしなくても胸のレモンスカッシュが沸騰するような素敵な物語もたくさんあるから。

恋愛物語がこれからいくつ描かれても’純愛’というキーワードが枯れることがないように思うのは、何パーセントかの人々の心にはずっと枯れずに’純’があるからだと信じている。まぁ、どこを採って’純’とするかは様々だけど、’純文学’、’純白’、’純情可憐’。心惹かれるその響き!

なにげない暮らしに映る景色や友人の恋物語に淡い緑のクローバーが見え隠れする。その揺れに心は’純’と鳴る。四葉の硝子が風に触れて波になる。そんな、クローバーを探しに。

執筆:batayam(ばたやん)
詩・文・絵・写真・デザインする人。/ 生きているから想うんだ、毎日に魔法をかけていこう。「夢をみるのは今からでも遅くないよ。 」「想い出を入れる宝石箱くださいな。がんじょーなやつー 」真夜中の子供、ばたやんの宇宙への落書き。お寝しなにご賞味下さい。 『毎日に魔法をかけていこう』 http://www.berry-records.com/


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  • 第15回大会テーマ「しらけちまうぜ」

『漢江の流れに沿って』
執筆:水島己



 先月、韓国で公開されたばかりの映画『グエムル -漢江の怪物-』を観た。ソウルの中心を流れる漢江(ハンガン)に現れた人食い怪物にさらわれた娘を助ける一家の物語。ちょっと聞いただけでプッと吹き出してしまうような荒唐無稽なプロットで、子供向け映画かよ、としらけてしまいそうだが、韓国では歴代興行記録を破る勢いでヒットしている。その要因は、個性的な俳優陣の濃密な演技が紡ぎだす面白悲しいドラマ、細密に描かれた怪物の描写などいろいろ考えられるが、特に漢江というロケーションが重要だったと思っている。漢江の存在はあまりに身近なので、日常の中に怪物という異物が紛れ込んだときのコントラストが、すごくうまく効いているのだ。

 ソウルの街は、河幅が1km近くもありそうな大河、漢江によって北と南に分けられている。両側は河に沿って高速道路が整備されており、土手には大きな公園が延々と続いている。休日には皆、そこで散歩したり、スポーツしたり、ゴロゴロしたりと、思い思いに過ごしている。夜には高速道路に灯るオレンジ色の光のラインが幾重にも交差して幻想的な表情を見せる。広大な水面が凍るほど寒さが深い冬には、停めた車の中で過ごす人が多い。雪の降る夜の漢江を暗い車中から見ると、大きなスノーボールに閉じ込められたような気分になる。

 漢江には思い出がある。2年前からソウルで韓国の人たちと協力し、ネットワークゲームを作っているのだが、最初の頃は上手くいかないことだらけだった。言葉の壁も大きいし、お互いのバックグラウンドや仕事のスタイルがうまく理解できていなかったこともあって、仕事の進め方が全然定まらなかった。(最近、韓国の会社と協力する日本のゲーム会社も多いようだが、皆、似たような問題を持っているみたいだ。)

 ある日、どうにも仕事が進められないところまで事態は悪化し、日本人スタッフ6人くらい、漢江の公園で「チーム解散しちゃう?」みたいなことを話した。代わる代わる1対1で話したり6人全員で話したりと、フォーメーションを変えながら、何キロもひたすら歩いた。4時間後くらいに出た結論は、全員一致で「やっぱりもう一度頑張ってみよう!」ということだった。夕焼けの漢江のロケーションが笑っちゃうくらい青春映画みたいで、「あとで振り返ると、きっとこの日のことも笑い飛ばせるようになるさ」というようなセリフを言った者もいたが、普段だったらしらけてしまったかもしれない。ただ、ゆっくり流れる漢江がなんでも肯定してくれたような気がした。

 その2日後、僕らのチームはあっさり空中分解した。さらにその後、また新たにチームを作り直して今に至る。今度は韓国の人たちと、驚くほどうまくコミュニケーションできるようになった。今ではなんとなく漢江に感謝したい気持ちだ。こんな風にいろんな人の思い出を飲み込んで、ゆっくり流れているのだろう。

執筆:水島己(風待茶房 編集)
エディター/ゲームデザイナー。ここ2年ほど、ネットゲーム制作のため、韓国によく出張してます。ソウルに居るときは漢江まで歩いて20分くらいのところに住んでます。


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